皆さんは『子供の自立』に対してどのようなお考えをお持ちですか?
私は「子供が大人になる」=「自立」とは、愛を求める側(与えられる側)から、愛する側(与える側)に回ることだと考えています。
その過程で、親を一人の人間として理解し、受け入れられるようになった時、大人の人生が始まるわけですね。
しかし、その過程は、親に育てられた自分自身を受け入れることでもありますから、こだわりが強いと、なかなかスムーズにいきません。
愛を求める気持ちを引き摺ったまま、愛する側に回ろうとしても、求める気持ちの方が強いですから、愛する行為は自分の身を磨り減らすような辛い作業になってしまいます。
一般に『自立』というと、一人で生計が立てられるとか、社会人として責任を果たすとか、『何でも自分で出来ること』と思われがちですが、自分で買ったマンションで一人で暮らしても、高い地位に就いて、高い給料を得ても、『子供時代に満たされなかったもの』を引き摺って、「自分に自信がもてない」「日々の暮らしに幸せを感じない」という人も少なくありません。
親の価値観に支配されたまま、あるいは、自分で自分を肯定できないまま、ずるずると年だけとって、いまだに「否定した親」「否定され続けた自分」と和解できずに苦しんでいる人もあるのではないでしょうか。
こういう事は、普段、本人の中では意識されませんけれど、恋愛した時、仕事で揉めた時、「常に不安である」「いつも同じ場面で失敗する」といった心の癖として現れ、いつまでも、じわじわと、人を苦しめるものです。
そうならない為にも、自尊心を育み、自分に対する信頼感を獲得しなければならないのですが、『自立』の意味を履き違え、中途半端なところで大人になってしまうと、そこから人生の青写真を書き換えるのは容易ではなくなります。
では、どの時点で子供っぽい感情から卒業し、大人の物の見方が出来るようになるかといえば、やはり「親」と「自分」が分離する時ではないかと思います。
子供は、「親」と「自分」をワンセットで捉えます。
親の価値観が自分のルールであり、親の世界の一部に自分がいます。
だから、親が「ダメ」と言ったことは、他が認めても「ダメ」だし、「正しい」と教えられたことは、どこか変だと感じても「正しい」。
気持ちの上では反抗しながらも、その価値観に支配されます。
ここから脱却することは、すなわち親に背くことであり、親に背けば、自分の居場所を失ってしまいます。この分離の恐怖と、「しかし離れたい」という希求が交錯するのが、思春期の始まりですね。いわば、第二の分離不安です。
思春期はまた、物事がだんだん見えてくる時期でもあります。
いろんな情報を知るにつれ、正直者が報われるような社会ではないことが分かってきますし、小学校では褒められた明るさや勇気が、中学校ではイジメの対象になることも経験します。
また、「立派」と思っていた親が、実は虚栄心のかたまりで、自分の体裁しか考えない人間だということも分かってきますし、陽気なキャラクターが単なる無知無教養だと悟ることもあります。
すると、今まで信じてきたことが、ガラガラと音を立てて崩れるわけですから、子供は新たな指針を求めなければなりません。いわば価値観の再構築です。
その時、親に「急に言うことを聞かなくなった」と責められたり、「何が何でも親に従え」と強要されたり、自然な心の成長を妨げられたら、子供はどこに自分の指針を定めればいいのか分からなくなってしまうし、自分の心の成長が必ずしも歓迎されていないということが分かれば、親を信じる気持ちも無くしてしまいます。
逆に、反抗し、親には意味不明な迷走を繰り返しても、子供なりに必死に答えを求め、日々成長していることを認めてもらえたら、いつかは一人で歩きだし、親に感謝できるようになるものです。
いわば、子供が親の価値観を否定して、自分の指針にこだわり始めるのは、子育ての宿命みたいなものだし、たとえ子供が親の欠点を見抜き、あげつらうようになっても、それだけ人間が成長した証と目を細めるのが真の親心でしょう。
とはいえ、親もそうそう子供の急な変化を受け入れられるものではないですし、成長した子供に痛い所を突かれるのは誰しも辛いものです。子供によっては、臓腑に突き刺さるようなことも言いますし(でも悪気はない)。
そうして、親の欠点が見えたとしても、子供は親を愛したいし、尊敬もしたい。それが本音です。
たとえ思春期の子供を難しく感じても、ただちに親としての自信をなくしたり、また逆に、高圧的になって、何が何でも親の言うことを聞かせようとするものでもない。
子供は子供なりに心の自浄作用があって、たとえ親を死ぬほど憎んだとしても、一方では、理解し、受け入れようという気持ちも働くからです。
それに成功すれば、子供はある日突然、びっくりするほど大人になるし、一番の問題児が実は一番頼もしかった、ということもあるでしょう。
それが「愛を求める側」から「愛する側」に回る、ということです。
つまり、子育てのゴールは、いい会社に就職したり、独立して所帯をもったりすることではなく、「親を一人の人間として理解し、受け入れること」であるわけです。
自立というのは、子供にとっては、一種の心の革命です。
今まで神だと思っていた親の実像を知る。
そして軽く失望する。
でも、理解して、受け入れる。
フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーは『人は二度生まれる。一度目は存在する為に。二度目は生きる為に』という名言を残していますが、愛を求める側から愛する側に回るプロセスこそ、まさに「二度目の誕生」と言えるのではないでしょうか。
昭和の時代、俳優・穂積隆信による著作で、突然非行少女になった娘との壮絶な闘いを描いた『積木くずし』というドラマが話題になりましたが、親子関係って、まさに「積んでは崩れ、積み直してはまた崩れ」の繰り返しと感じます。
だとしても、子供には子供なりに成長する力がありますし、『自立』という子育てのゴールをしっかり見据えれば、寄り道、回り道がどれほど長くても、いつかは子供自身の力で辿り着けるのではないでしょうか。
メールマガジン『コラム子育て・家育て』より
初稿 2008年4月17日