「ひとりでいるということは、人とちがうということで、人とちがうということは、ひとりでいるということです」と、スザンヌ・ゴードンはいいました。
彼女は、人間の最大の恐怖のひとつである「孤独」をうまく表現しています。
現代社会では、ひとりでいることに対する恐怖が存在します。ひとりであるということは落伍者と見なされます。いいかえれば、ひとりでいることは、他人から受け入れられていないという確かな証拠とされてしまいます。ですから、ひとりでいることは、自分にとって納得できないことであり、嘆かわしいことでもあり、そして、なんとしてでも避けなければならないことなのです。
もしもわたしたち一人ひとりがちがっていて、独特な性格をしており(実際、そうなのですが)、そのうえで、人とちがうということが孤独であり、孤独が死よりも怖い運命であるならば、ありのままの自分でいられる人など存在するはずがありません。
もしも宇宙が巨大なパズルであり、一人ひとりがそのパズルのひとかけらであるならば、ありのままの自分であることを拒絶して誰かのまねごとをしようとす
れば、宇宙に穴が開いてしまうことになります。
しかし、どうやらすでに宇宙にはたくさんの穴が開いてしまっているようです。
もしも、あなたがありのままの自分であることを拒絶すれば、あなたは宇宙に穴を開けてしまっていることになるのです。
人間は一人ひとりちがうものです。長所も短所も、好き嫌いもちがいます。
人と自分をくらべて、自分のほうが劣っているなんて思う必要などまったくありません。
あなたはあなたでいいのです。
【コラム】 個性は「才能」ではない
「自分はちっとも個性的じゃない」「誰にも注目されない、魅力がない」――という人は、個性=才能と思い込んでないでしょうか。
たとえば、「ダンスが上手」「漫画が描ける」というのは、非常に分かりやすい個性です。
YouTubeやInstagramで注目されれば、個性の塊のように感じ、大勢に愛されて羨ましいと思います。
しかし、それは個性ではなく、才能です。
世の中には、計算が得意な人もいれば、整理整頓が上手な人もいる、ただそれだけの話です。
ダンスが上手でも、自己PRは苦手な人はいくらでもいて、人気者の後ろで控え目に踊っている――それが個性です。
何かに長けて、目立つから「個性的」ではないんですね。
個性とは、「明るい」「控え目」「無口」「神経質」など、その人に特有の性質を指します。
「明るいから、善人」「無口だから、悪人」なんてことはありません。
明朗活発でも、歯に衣着せぬ物言いで、周りの人をズバズバ傷つける人は少なくないですし、逆に無口でも思いやりにあふれ、一緒に居るだけでほっとするような人もあります。
個性というのは、表面に現われるその人の特質に過ぎず、個性がそのまま人気や愛情に繋がるわけではないんですね。
同じダンスが得意でも、激しいブレイクダンスが好きな人もいれば、上品なクラシックバレエが向いている人もいて、それが社会の多様性を生み出します。
もし、世の中が、明るく活溌な人ばかりなら、多くの文化芸術が失われてしまいますし、感動ドラマだけが良い映画とするなら、お馬鹿なホラー映画やB級アクションもなくなってしまいます。
人にはいろんな性質があり、役割があります。
YouTubeで注目を集めるようなダンスは出来なくても、生徒の指導は上手かもしれません。
漫画は描けないけど、会計は得意な人もあります。
適材適所に人がいて、互いに補い合うから、世の中も回っていくのです。
大勢の注目を集めるような才能だけが個性ではありません。
見栄や思い込みを捨てれば、自分の真価が見えてくるのではないでしょうか。
この投稿は【何かを心配しているときにそっと開く本 (ワニ文庫)】から一部を引用しています。後半のコラムは管理人が執筆しています。