皆さんは、馬車を間近でご覧になったことがありますか? 飾り物の馬車ではなく、走行中の、本物の馬車です。
昔のヨーロッパを舞台にした映画では、かっぽんかっぽんと小気味よい音を立てて、馬車が石畳の街路を走って行く場面が登場しますが、実物は想像以上に大きく、速く、とても間近に走り寄ってみようという気にはならないものです。
私が走行する本物の馬車を初めて間近に見たのは、ポーランドの古都、クラクフの旧市街でした。観光客で賑わう石畳の小路を、二頭立ての観光馬車が、かなりの速度で走り去っていくのを見た時、キュリー夫人の夫がパリ市内で荷馬車に轢かれて亡くなったことや、『風と木の詩(竹宮恵子・作)』のジルベール少年が、伯父のオーギュストと見間違えた貴族の馬車に踏みつけられ、非業の最期を遂げたことが思い出されたものです。
それぐらい危険な馬車の前に、勇気を持って飛び出したベルばらの登場人物と言えば、もうお分かりですね。貧しいながらも、女手一つで二人の娘を育て上げた、ロザリーのお母さんです。
馬車に乗っていたのは、ロザリーの実の母親であり、マリー・アントワネットの寵臣として、宮廷随一の権勢を誇る、ポリニャック伯夫人。王妃の寵愛をほしいままにし、国政まで左右する夫人の馬車が、たとえパリの町中とはいえ、平民相手に安全運転を心掛けていたとは到底思えません。歩行者天国をリンカーン・コンチネンタルで突っ切るが如く、我が物顔で走り飛ばしていた様子が瞼に浮かびます。
そんな馬車の前に飛び出して、夫人を呼び止めようとしたお母さんの気持ちはいかなるものだったでしょう。
娘はまだ年若く、一人で生きていく術も持ちません。
政情は日に日に悪化し、今日食べることさえままならない状態です。
それだけに、馬車にポリニャック夫人の姿を見た時は、一筋の光明が差すような思いだったでしょう。
お母さんの頭の中には、お金をせびろうとか、親子で世話になろうとか、そんな利己的な思いは一切なく、ただただ娘のため、本能で馬車の前に飛び出したに違いありません。
しかし、無残にも、ポリニャック夫人の馬車はお母さんを轢き殺してしまいます。
駆けつけたロザリーに、ポリニャック夫人が浴びせた言葉は、
「なによ、急に飛び出してきたそっちが悪いのよ。文句があったら、いつでもベルサイユにいらっしゃい」
目の前の少女が生き別れになった実の娘で、馬車の下敷きとなった瀕死の婦人が恩義ある女性とも気付かず、夫人は何食わぬ顔で走り去っていきます。
その後、お母さんは、「お前の本当の母親は、マルティーヌ・ガブリエル……」という言葉を残して、息を引き取りますが、結果的に、この出来事が、オスカルとの出会いをもたらし、ベルナールとの結婚に繋がったのですから、ロザリーのお母さんの命がけの行為は娘を幸福にしたと言えるのではないでしょうか。
現代でも、道路に飛び出した我が子をかばったり、川に落ちた子を救うため、冷たい水の中に飛び込む親があり、私も以前は「こんな事ができるのは、特別な善人だけだ」と思っていたものですが、子供を産んでからは、それが理屈ではなく、本能でできるのだと理解できるようになりました。
皆さんも、本物の馬車とすれ違う機会があれば、我が子の為にその前に飛び出せるかどうか、心の中で試してみて下さい。
そうすれば、ロザリーのお母さんが、どんな思いでポリニャック夫人の馬車の前に飛び出したか、痛いほどわかると思います。
母の愛は、死をも恐れないものです。
コミックの案内
あまりにも……あまりにも有名な「文句があったらベルサイユにいらっしゃい」。
何故、この一言がウケるかと言えば、ベルサイユにいらっしゃい = 宝塚にいらっしゃい、に聞こえること。
そして、それが多くのベルばらファンにとって、聖地巡礼にも等しいことだからでしょう。
ポリニャック夫人が言うと、こう聞こえるのです。「文句があるなら、宝塚にいらっしゃい。本物のベルサイユ宮殿をご覧なさい」
第2巻『栄光の座によいしれて!』では、ルイ15世が崩御し、若くして即位したルイ16世とマリー・アントワネットの運命、地位と権力に溺れ、賭け事やお芝居に夢中になるマリーの暮らしぶり、ポリニャック夫人らを贔屓して、他の貴族との関係が悪化する過程などが描かれています。ロザリーとオスカルの出会いもこの巻です。
オリジナルの扉絵はこちら。レモンイエローをベースにしたデザインで、全巻の中でも特に目立つ絵柄です。
【動画で紹介】 ポーランドの馬車
貴族仕様の馬車は重要な観光資源の一つです。古都にぴったりのデザインで、一度は乗ってみたいですね。
冬場は、ソリ遊びがメジャーです。お馬さんも年中大忙し。
厳冬期に仕事が途絶える農家にとって、重要な収入源です。
しかし、零度10度の中を馬車で全力で走れば、皮膚が切れそうに痛いです。
昔の人は、よくこんな乗り物で、村から村、国から国を横断したものです。