フランス王家をお守りする為に、幼少時から男として育てられたオスカルは、自分でも「自分は男だ」と信じ、軍人の道を一筋に歩んできました。
しかし、典雅で高潔なスウェーデン貴族フェルゼンに心を奪われます。
オスカルが自覚した時には、フェルゼンの運命はマリー・アントワネットに定められ、オスカルの想いを受け入れることはできません。
それを悟ったオスカルは、生涯にただ一度、舞踏会のドレスに身を包み(『第4巻 黒い騎士をとらえろ!』に収録)、女性としてフェルゼンと踊ります。
相手の女性がオスカルと気付いたフェルゼンは、「もう永久に会うことはできないな」とオスカルの気持ちをきっぱりと拒み、オスカルも叶わぬ恋と悟って、潔く身を引きます。
フェルゼンの誠実とオスカルの定めが浮き彫りになる、印象的な場面です。
素敵な恋のあきらめ方
恋をして、何が辛いかといえば、その人をあきらめなければならない場合でしょう。
かといって、人を好きになったら、そう簡単に理屈であきらめきれるものではありません。頭では分かっていても、「もしかしたら」と期待して、側に寄ってみたり、背伸びして、いい所を見せたり。バカだなあと思いつつも、相手のことを追い求めてしまうものです。
そして、人を好きになったら、一番に望むのが、「相手に気持ちを伝えたい」ということでしょう。
振られると分かっていても、好きだということを言葉にして告げたい。
そして、その想いを受けとめて欲しい。
あれほど男として頑なだったオスカルが、美しいドレスを身にまとい、フェルゼンの腕に飛び込んだのも、あきらめるに、あきらめられない、一途な恋心ゆえだったんですよね……。
しかし、恋というものは、目くらめっぽうに相手に気持ちをぶつければよいというものではありません。
その想いが、相手にとって負担になるなら、別れを告げなければならない時もあります。
自分に正直であることと、相手を幸せにすることは、別の次元の問題です。
相手の気持ちや状況も考えず、「好き、好き」と気持ちを押しつけて、理解を求めるのは、恋ではなく、単なる我が侭ではないでしょうか。
恋とは、相手の幸せがあってこそ、美しく燃え上がるもの。
『エースをねらえ』の藤堂さん曰く、『恋をするには資格がいるのです』。
フェルゼンに恋をしたオスカルも、王妃マリー・アントワネットへの深い想いを知って、あきらめる道を選びました。
もし、オスカルがフェルゼンに「好きだ、分かってくれ」と迫っていたら、二人の友情はもちろん、彼の信頼も失われていたでしょう。
恋が報われない時は、その引き際で、女性の度量が分かります。
どんなに相手のことが好きでも、迷惑をかけないのが素敵な恋のマナーです。
また、男性も、愛を返せないのに、相手に希望を持たせるような事を口にするのはNGです。
「恋人としては付き合えないけど、会って、食事をするぐらいならいい」みたいな事です。
オスカルの気持ちを知った時、フェルゼンはきっぱりと言いました。
「もう永久に会うことはできないな」
愛を返せないと分かったら、せめて相手が恋慕を断ち切れるよう、距離を置くのが本物の誠実です。
この男らしさが理解できれば、恋に躓くこともないはずです。
「永久に会えない」の意味
フェルゼンが口にする「もう永久に会うことはできないな」は、「これきり、永久に顔を合わすことはない」ではなく、「今まで通り、(普通の男友達として)接することはできない」という意味です。
それまで、フェルゼンはオスカルを「最高の男友達」として接し、オスカルも「男」として存在してきました。
しかし、オスカルの女性らしい想いを知った今、今まで通り、「男同士」で顔を合わすことはできません。
下手に期待をもたせて優しくするより、きっぱり線を引いた方が、オスカルも苦痛が少なくて済むというフェルゼンらしい誠実です。
もし、フェルゼンが、「アントワネット様も、オスカルも・・」みたいな邪な事を考えていたら、後のアンドレとの愛はなかったでしょう。
その時は残酷に感じても、後々、振り返ってみれば、非常に良い決断であることが分かります。
また、そんなフェルゼンの誠実を理解したオスカルも、やはり誠実な人なのです。
コミックの案内
オリジナル表紙のKindle版です。『オスカルの苦しみ』というタイトルの通り、それまで近衛士官としての道を真っ直ぐに歩いてきたオスカルが、義賊「黒騎士」ことベルナールと出会い、世の現実を知る一方、フェルゼンに失恋し、アンドレの熱烈な愛を知り、人間としての苦悩を味わいます。前半の王室万歳から、後のフランス革命につながる、過渡期となるエピソードです。
ベルサイユのばら 5 (マーガレットコミックスDIGITAL) Kindle版
扉絵も新しい、新装のKindle版です。