新約聖書の構成は次の通りです。
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
- ヨハネによる福音書
Ⅱ 使徒言行録
Ⅲ 手紙
- ローマの信徒への手紙
- コリントの信徒への手紙 Ⅰ・Ⅱ
- ガラテヤの使徒への手紙
- エフェソの信徒への手紙
- フィリピの信徒への手紙
- コロサイの信徒への手紙
- テサロニケの信徒への手紙
- テモテへの手紙 Ⅰ・Ⅱ
- フィレモンへの手紙
- ヘブライ人への手紙
- ヤコブの手紙
- ペテロンの手紙 Ⅰ・Ⅱ
- ヨハネの手紙 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ
- ユダの手紙
Ⅳ ヨハネの黙示録
マタイによる福音書
マタイによる福音書の特徴は、旧約聖書の成就者としてのイエスの姿を描いている点です。
冒頭でイエスの家系が紹介される。イエスは、ユダヤ民族の太祖アブラハムから連なる名門ダビデ王家の直系の子孫である。彼は「旧約」に預言されていた「救い主」として誕生したのである。
イエスの生涯の数々の出来事は、「旧約」の「成就」として展開する。成人したイエスは、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、荒野で悪魔と対決し、その誘惑をはね除ける経験をした後に伝道活動に入る。
その後、山上の垂訓、癒やしと奇跡物語が続き、ユダヤ教徒との連想を経て、弟子たちの信仰告白、協会運営についての忠告をイエスは語る。
しかし、エルサレムでユダヤ教徒との対立が激化し、イエスは弟子たちに終末の接近を語る。最後の晩餐の後、ユダの裏切りに遭い、イエスは逮捕され、十字架にかけられて処刑される。埋葬された2日後、イエスは復活し、弟子たちへ伝道の命令を与えるところで本福音書は終わりとなる。
マルコによる福音書
マルコによる福音書の特徴は、権力の批判者としてのイエスを描く最古の福音書である点です。
終末論的な悔い改めを迫る教会と洗礼運動で大きな影響力を持っていたバプテスマのヨハネから、イエスが洗礼を受ける。そのときイエスは、天から聖霊を受け、「神の子として伝道活動に入る。
癒やしと奇跡の数々でイエスの名声は高まるが、ユダヤ教指導者とは対立する。しかし、伝道は続けられる。
後半、イエスは受難を予告するが、弟子たちはそれを理解できない。イエスは終末を預言し、エルサレムで最後の晩餐を行った後に捕らえられ、処刑、埋葬される。そして最後にイエスの復活が天使によって告げられる。≪中略≫
本福音書では、従来通り、終末への期待と緊張を強く保持すべきであるとし、その為には、イエスの具体的な生の姿に注目すべきだと語る。十字架の死へと歩むイエスを「受難者」であると強調し、その死を多くの人々の罪の償いであると明言している。そのため、神の子として地上に現れたイエスの公生涯以降の活動が、受難の記事を中心に語られる。
イエスの誕生にはふれず、福音書中で最も神格化の要素が少ない。弟子たちも「マタイの福音書」に比べ、権威づけのされていない生身の人間として描かれている。
なお、第13章以降とそれ以前では情報源が異なると思われ、復活したイエスを描く16章9節以下は、本来の「マルコ」にはなかったものである。
キリスト教の本 (上) (New sight mook―Books esoterica)
キリスト教の本 (上) (New sight mook―Books esoterica) の解説を紹介します。
新約聖書は「福音書」から始まっている。「福音」とは、良い知らせのことである。
元来は戦いにおける勝利や、子どもの誕生を知らせる場合に用いられた言葉であるが、キリスト教における福音とは、救い主としてのイエスの登場、つまりイエス・キリストそのものを意味している。したがって「福音書」とは、単にイエスという人物の生涯を記した電気ではなく、イエスの言行をもとに、イエスが救い主(キリスト)であることを知らしめるために編まれた証言の書なのである。福音書は全部で「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」の四つあり、関東から順に3書は「共観福音書」と呼ばれている。3書は物語の各所において、極めて類似したプロットを共有し、共通の資料をもとに書かれたと推測されるからである。
共通の資料は、まず一番古くに書かれた「マルコ福音書である。「マルコ福音書」が物語の骨子となり、マタイ、ルカの福音書に用いられているのである。
次の資料は、マタイとルカの福音書に用いられたと推測されるイエスの語録集(Q資料)である。また、各福音書は、独自の資料を持っていたと推測されている。マタイ独自のものをM資料、ルカの独自のものをL資料という。これらの現存しない資料の存在は、推測上のものとはいえ定説となっている。以上の資料的特徴をもって、この3福音書「共観福音書」と呼ぶ。
それぞれの福音書は、マルコ、マタイ、ルカ、最後にヨハネの順に成立しており、新約聖書の配列順とは異なっている。新約聖書を編纂するにあたって、なぜ、順番が変えられたのだろうか。どのような意図で、4種類の福音書が必要とされたのだろうか。