親である自分が好きですか? ~内なる感情を楽しむ~

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自尊心こそ、幸福な人生の礎

自尊心を欠いた心に花は咲かない

子育てにおいて、一番大切なのは、「親が健全な自尊心を持っている」、この一言に尽きると思います。

親が自分に自信が持てず、不安や嫌悪感を抱えていると、それは必ず子どもに伝わり、子どももまた、不安で自信のない人間に育ってしまうからです。

スポーツやら、勉強やら、あれこれ詰め込んで、「できる子」に育てても、自尊心を欠いた心に大きな花は咲きません。

何故なら、子どもの自尊心のモデルとなるのは、親だからです。

親が自分自身のことを好きと思えないのに、どうやって子どもに自己愛を教えるのでしょう。

子どもが親を敬えば、親も人間として救われるのでしょうか。

自尊心は、幸福な人生を生きるための礎です。

幸せな子どもに育てたければ、まず親自身が自分を好きでいましょう。

自分で自分を軽蔑する親は、子どもからも軽蔑されるものです。

親である自分を好きになろう

自分以外のものを認め、受け入れるには、まず自分自身を肯定する気持ちがなければ出来ません。たとえば、学歴や容姿のコンプレックスがある人は、その劣等感を子供に投影し、成績や容姿に問題のある子供が許せなかったり、「もっと上位でなければ」「もっと美人でなければ」みたいな強迫観念に駆られたりします。あるいは、常に周りから馬鹿にされているような気持ちでいると、我が子も馬鹿にされているように感じ、子供の欠点に目を光らせては、きつく叱責したり、親自身が我が子を見下したり、ありのままの子供を好きになることができず、親子ともに苦しんだりします。

子供に行儀作法を教えたり、人としての心構えを説く前に、まずは親自身が自分を愛さないと。愛を知らない親が、どうやって子供に愛の気持ちを教えるのでしょうか。

親の自分に対する憎しみや嫌悪感は、子供にも伝わります。親が自分で自分を嫌っているのを感じれば、子供は何も経験しなくても、人生に苦痛や絶望を感じたり、自分を素直に表現することを躊躇うようになります。生きていても何も楽しいことなどない、と親の生き様から学ぶからです。子供によっては、親が不幸なのは自分のせいだと思い込むかもしれません。あの手この手で親の機嫌を取ろうとするけれど、親はいつもどこか不満げで、心底人生を楽しむことがないので、子供もだんだん生きるのに疲れ、何もかもが嫌になっていくのです。

「友だちを大事にしよう」「周りの人に優しくしよう」等々、心の教育が大事と、あれこれ諭す親御さんも多いと思いますが、それ以前に、あなた自身が人として満たされていなければ何の説得力も持ちません。いつも不満そうな親に「勉強や友だち付き合いが楽しくないのか?」と問われても、お父さんやお母さんも同類だろ、としか言いようがないですね。

親であることは、時に大変なプレッシャーです。

自分の人生を生きるのとは別に、親という役割もこなさなければなりません。難なく一体化できる人もあれば、一生を通して違和感や戸惑いを覚える人もあり、後者だからといって悪い親というわけでもないと思います。  

どちらにしても、一番大事なのは、親である自分が好きな気持ちでしょう。

至らなくてもいいのです。

子供と喧嘩しても、理想通りに育たなくても、なんだかんだで頑張っている自分と、その子の親になれたことに対して、どこか悦ばしく感じる部分があれば上等ではないでしょうか。

落ち込んでも、腹が立っても、それもまた自身の尊い感情に他なりません。人間の心に「親だから○○してはいけない」という法則はありません。醜い感情も正面から自覚し、自分自身で受け止めるからこそ、子供のネガティブな感情も、自身と同じように尊ぶことができるのです。

以下、メルマガのアーカイブです。

母親である自分が好きですか? ~内なる感情を楽しむ~

多分、子育てに必死になって、パンクしてしまうタイプのお母さんは、子育てというものをあまりに重く見過ぎるために、良い意味での『笑い』を無くしてしまうんじゃないかと思います。

たとえば、子供を連れてレストランに行ったら、ギャーギャー騒がれて、周囲にも冷たい目で見られた。それがイヤで、オモチャを余計に買い与えてしまったが、子供の心の成長を考えると、それは間違いだったのではないか……ということを、延々と考えて、スパイラル状態になってしまうような場合です。

つまり、子供や子育てを神聖に考えるあまり、子供のバカっぷりが笑えない。

自分のドタバタした愚かさを、「アタシって、バカ~」と笑って流す余裕がない。

「こうでなければ、ああでなければ」と、自分の定めたルールが全てで、そこから逸脱してしまうことは、たとえ自分自身の感情であっても、批判がましくならずにいられないのです。

自分で自分の愚かさや失敗を笑えない」――というのは、自己否定の一つです

そうした自己否定が根強いと、他人=子供に対しても、寛容になることができません。

そういう時、育児に追い込まれやすい人は、子供を自分の思う通りに改造することで、自分のイライラを解消しようとしがちですが、本当に必要なのは、こうした自己否定の傾向をなくし、自分自身に対して、もっと寛容になることだと思うんですね。

何と言っても、我々は人間ですもの。

たとえ相手が子供にせよ、人間として、怒りや苛立ち、悔しさみたいなものを感じて当たり前だと思うのです。

が、それを、「母親だから」という理屈で否定し、封じ込めようとすれば、本来の自分の感情がどこかに置き忘れられて、その歪みは必ずウツやイライラ、あるいは突発的な憎しみとなって爆発すると思うんです。

そうではなく、自分の大人げない部分――子供相手にカッカしたり、振り回されたり、アホらしさの極みを繰り返している自分自身を、客観的に見つめ、笑い、子育てそのものをギャグ漫画のように茶化す余裕を持てば、自分もラクだし、子供との関わりももっと楽しいものになるのではないでしょうか。

世に溢れる育児情報の中には、「母親なんだから、こんな風に感じちゃダメ」「母親なんだから、こういう気持ちにならなきゃダメ」みたいに、育児あるいは母親というものを神聖化してしまっているものが少なくないですよね。

確かに、心構えとしては大事だと思いますけど、一方で、子供との関わりを通して経験する心理的体験=それまでに経験しなかった苛立ち、不安、怒り、自責の念といったものを、もっと肯定的にとらえ、

「あ、今、私は子供相手にカッカしてる」

「私って、ホントに、瞬間湯沸かし器みたい」

と、客観的に見つめ、それも自分自身の真実として受けとめてはどうかと思うのです。

『カッカする=悪いこと=私の育児は失敗、クヨクヨ』ではなく、

『カッカする=これが私という人間なのだ=じゃあ、どう付き合おう』といった風に。

前に、育児相談の書き込みで、「不妊治療の末にやっと授かった子供なのに、育児ストレスでイライラしてしまう。そして、そんな自分がイヤで、ますますイライラしてしまう」というものを読んだことがあります。

これも、『不妊治療の末に授かった子供は天使。絶対に大事にしなければ』というこだわりがあって、それゆえに追い詰められているように感じます。

その気持ちは痛いほど分かるけれど、そんな時こそ、こだわりを捨てて、子供相手にイライラ、ドタバタしている自分を客観的に見つめ、受け入れていけばいいと思うんです。
悪い感情をハナから否定するのではなく、これも対人間との関わりだと肯定的に受けとめて。

子供って、親が与えるべき存在には違いないですけど、一方で、親に新たなものを体験させてくれる存在でもあると思うんです。

たとえば、上記のママさんの場合、「私が子供を大事に育てなければならない」という気持ちが強いですけど、この子は、育てられるばかりではなく、親に新たな気持ちを体験させる為に生まれてきた――とも言えないでしょうか。

そして、それこそが、治療の末にやっと授かった意味なのではないか、と。

私は、いろんな育児相談を読んでいて、今時の親に一番必要なのは、「心理的体験を悦ぶ余裕」ではないかと思います。

子供との関わりをあまりにも理屈で考えすぎて、人間として自分が感じる心理的体験をなおざりにしている、そんな印象を受けます。

子供のやること、なすことに苛立ち、落ち込み、振り回され……というのは、親として恥ずかしい事かもしれませんが、それこそが子供と関わることの本質であり、子育てというのは、躾や教育といった方法の上にあるではなく、もっと自分自身の中で体験されるものなのではないでしょうか。

そういう意味から、私は、親としての未熟さや愚かさを恥じらいつつも、客観的にはけっこう楽しんだりしています。

母親としての自分をウォッチングする」とでも言うのでしょうか。

(こういう時、私は短気になって、ダメだなあ)とか、

(おお、私って、こんな優しさも持ち合わせていたのか)とか。

育児を通して、いろいろ発見することは多いと思うんですよ。

そうして、自分自身をよく知ることがセルフ・コントロールに繋がり、セルフ・コントロールに長ければ、無用な衝突や躾の強要は避けられると思うのですが、皆さまはいかがお考えでしょうか。

子供を持ったからには、母親としての自分自身をもっと楽しんだらいいのにな、と思います。

英語ではよく、enjoy yourself と言います。

良いところも、悪いところも、全部込みで「アナタ」。

そのアナタ自身を楽しもう、という意味です。

そのアナタ自身を愛してあげたら、子供のこともきっと自然に愛せるようになると思うんですよ。

「まずは母親から」というのは、そういう意味です。

初稿 2007年7月26日

読者さんからのお便り

第2回の「母親である自分を楽しむ」にお便りを頂きましたので、ご紹介しますね。

はじめまして。

育児歴11年の母親です。

笑いは大切ですよね~。心からそう思います。それでも笑った後に、本当に笑っててもいいのか・・・と悩むこともあり、私の人生、悩み苦しみには尽きることはありませ ん。

それよりも少ないとはいえ、楽しいことや、充実した時間もあります。だからやっていられるのですが。

それでも結局は何が正しいのか判らず、何をするにも自信がなく、他人との付き合いならごまかせることも、子育てとなるとごまかすこともできない。

ごまかしがきかないから、真剣にならざるを得ず、大変なのです。

夫婦と子供4人、平和に仲良く楽しく暮らしたいのに、なかなかうまくいきません。 結局ごまかし方をさぐっていくしかないのかなと感じたり、いやいや体当たりよとがんばってみたり、とにかく一筋縄でいきません。

あきらめるというのが、一番の処方箋のような気がするのです。 が、それでいいんだろうか・・・とここでも堂々巡り。

あきらめるというのは、諦めると、明らめるというのがあるのですね。どっちがどうなんだ?

子供のこと愛しているのかなあ。
楽しみながらやれることをやるしかないですね。
それがEnjoy yourself かしら。
育児にはサプライズだらけ。それをどう楽しめるかってことかもね、なんて思ったり。
楽しむのも大変です。
ばらばらな文章で申し訳ないです。
お礼と感想を伝えたかったのです・・・。
とりあえず今回はこれでー。

素敵なお便りを本当にありがとうございました(^^)

育児歴3年の私がこんな事を言うのもなんですが、これでいいんだと思います。
「これが育児なんだ」って。
このドタバタのプロセスこそが、「親子関係」の思い出として、一生心に残るんじゃないでしょうか。

今って、「成功育児」だとか、「こうすればいい子に育つ」といった眉唾ものの情報があふれかえってますけど、「このやり方が正しい」って、自信たっぷりに育てる方がコワイですよ。
よかったら、「自信たっぷりに育てられたら、子供だってたまらんさ」を読んでみて下さいね。

迷って、焦って、落ち込んで、ケンカして、仲直りして、またケンカして……って、一見、ムダなように見えますけど、それが相手と触れ合っている証だし(隣の子供と必死になってケンカなんかしませんものね)、真剣に触れ合う相手が間近にいるうちが、やっぱ花だと思います。

誰とも触れ合わない人生は侘びしいです。

とはいえ、疲れますよね。
私も、こんなエラソーなメルマガを書いたりしていますけど、気持ちに余裕なくして、ヒーヒー言ってることが多いです。

記事の中で、「楽しみましょう」と書きましたけど、たとえ楽しめなくても、そういう風に気持ちを持っていこうとするだけ、上等としましょうよ。

ですから、母親である自分のことをずっと好きでいて下さいね。

もう一つ、おすすめが「お母さんの目からウロコが落ちる本」です。<amazonの中身検索ページに飛びます>

「子育てなんか、なるようにしかならない」と、あっさり言い切っている本です。

「幼児期に、栄養、栄養と目くじら立ててみても、中学生になったら、塾帰りにハンバーガーを食べたり、コーラやポテトチップスを食べたりするようになるんだから、そんな必死にならなくてよろしい」というノリの本です。

笑えますよ。

2007年07月24日

誰かにこっそり教えたい 👂
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