『トゥモロー・ワールド』 あらすじと見どころ
作品の概要
トゥモロー・ワールド(2006年) ー Children of Men 人類の子供たち
監督 : アルフォンソ・キュアロン (観客を恐怖のどん底に叩き落とした『パンズ・ラビリンス』のプロデューサー ^_^;
主演 : クライブ・オーウェン(セオ)、ジュリアン・ムーア(ジュリアン / セオの前妻で反政府グループのリーダー)、マイケル・ケイン(セオの友人・ジャスパー)
↑ しばしば間違えられるが、ディズニー系の『トゥモローランド』(ジョージ・クルーニー主演)とは異なる。
あらすじh4>
西暦2027年。
人類は出産能力を失い、世界中が混乱と絶望の最中にあった。この18年間、一人の子供も生まれてないからだ。
英国エネルギー省に務めるセオは、反政府グループに拉致され、リーダー格の妻ジュリアンから、不法滞在の黒人女性キーの護送を任される。
なんとキーは身ごもっており、彼女を保護する為、『ヒューマン・プロジェクト』に委ねる必要があった。
しかし、キーを利用しようとする反政府グループによって、セオとキーは幾度となく危険に晒され、混乱の中でお産が始まる。
セオは無事にキーと赤ん坊を『ヒューマン・プロジェクト』のメンバーと合流することができるのか……。
見どころ
はっきり言って、暗い映画である。
一応、子供も生まれるが、全編、絶望と喧噪で埋め尽くされ、同じ世紀末・大事なものを送り届け系の映画『ザ・ウォーカー』みたいに、見終わった後、雲間に光が差すような感動もない。(参考 神は言葉なり 真理が世界を支配する『ザ・ウォーカー』)
これでもか、これでもか、と、暗いエピソードばかり見せつけられるので、しまいに、どうでもいいような気分になってくるが、それだけにクライマックス、銃撃戦の中で赤ん坊の泣き声が響き渡る場面が際立つのだろう。
クライヴ・オーウェンは好きな俳優だが、この人の出演する作品は本当にロクなのがなくて、唯一、いいなと思ったのは、『エリザベス・ゴールデンエイジ』のウォルター・ローリー卿ぐらい。若くて見映えのいい時に、もっと捻りの利いた大作に出演して欲しかった。
とにかく、暗い映画なので、何度も見たいと思わないが、リアル近未来の世界観は共感できるし、クライヴ・オーウェンも格好いいので、映画ファンは見て損はないと思う。
【動画で紹介】 映画が予見したEUの未来と人類の希望
何年も経ってから見返すと、この作品がいかにEUの未来を予見していたか、よく分かる。
「国家治安法の成立で、英国国境は8年継続で閉鎖中」とか。
2027年のロンドンで厳重警戒態勢がしかれ、あのお洒落な町が中東の紛争地みたいに物々しい様相になるとか。
先進的なロンドンの町中でテロによる爆発が起きるとか。
パリ同時多発テロ事件、ニースのトラックテロ事件、ブリュッセル連続テロ事件、etc
テロリストも、ここまで及ぶまいと思われた国際都市で、相次いで悲惨なテロ事件が起き、イギリスはとうとう国民投票でEU離脱を決定した。
今では、国際空港にも、観光施設にも、自動小銃を携帯したフル装備の警備員(兵士)が配備され、ちょっとでも怪しい動きをしようものなら、一般観光客でも、直ちに取り押さえられ、場合によっては、射殺されかねない物々しさである。
2011年、初めて『トゥモロー・ワールド』を見た時は、近未来SF的な印象だったが、もはやフィクションを通り越して、世界の現実になりつつある。
原作者のフィリス・ドロシー・ジェイムズはイギリスの女流推理作家だが、さすが、幼い頃から欧州の移民社会の現実を目の当たりにしてきただけのことはある。
テロの脅威を抜きにしても、このまま政情不安が続けば、国境封鎖もやむなし――というレベルまで来ているのは、イギリスに限った話ではない。
そんな中、社会不安に追い打ちをかけるような、女性の不妊。
原因は不明だが、この18年間、子どもがまったく生まれず、世界最年少の少年が死亡したことが世界のトップニュースとなる。
このままいけば、人類滅亡は必至であり、希望なき社会はいよいよ自棄と暴力の吹き荒れる無法地帯となっていく。
そんな中、英国エネルギー省に務めるセオ(クライブ・オーウェン)は、反政府グループに拉致され、元妻のジュリアン(ジュリアン・ムーア)から、ある不法移民の為に『通行証』を手に入れることを要求される。
セオが訊ねたのは従兄の文化大臣だ。
世界の貴重な美術品を保護しているが、すべてを収集しきれず、たくさんの文化遺産が犠牲になっている。
実際、テロリストによる世界遺産の破壊(パルミラ神殿やバーミヤン大仏など)は進んでおり、ダヴィンチの名画やミケランジェロの彫像も、いつテロの標的にされるか分からない。
セオは「100年後に誰が見るんだ? こんな収集に何の意味がある?」と従兄を揶揄するが、「そういうことは考えないようにしている」と。
二人は、ピカソの傑作『ゲルニカ』の前で食事を取る。
そうして、従兄から通行証を手に入れたセオは、依頼人の不法移民=アフリカ系の若い女性キーと世話役の女性、元妻ジュリアン、反政府グループのスタッフと共に車で検問所に向かうが、途中で暴徒に襲われ、ジュリアンは命を落とす。
一体、何が悪かったのか。途方に暮れるセオに、キーは重大な秘密を打ち明ける。
なんと彼女は妊娠していたのだ。
「人類の母(ミトコンドリア・イブ)はアフリカにルーツをもつ」という。
つまり、キーが、第二のミトコンドリア・イブになるという示唆である。
キーの妊娠を知ったセオは「公表すべきだ」と反政府グループのメンバーに訴えるが、彼らは次のように反論する。
政府がこう言うとでも?
不法入国者も人間だったか!赤ん坊は政府に奪われ、里子に出される
18年目に産まれるのが不法入国者の子
政府にどう扱われるか 説明してやれ
上記の台詞も、欧州の移民問題を生々しく反映している。
実際、滞在に必要な条件が揃わず、政府の許可が下りなければ、親子といえど切り離され、未許可の者は本国に送り返されるからだ。
ゆえに、政府はますます取り締まりを厳しくするし、不法移民側はなんとか法律の網の目をかいくぐって、家族・親族が一緒に暮らせるよう試みる。
まさにイタチごっこだ。
その後、セオは、反政府グループが子どもを手に入れ、セオたちを殺そうとしている事実を知り、キーと世話役の女性を連れて逃走する。(世話役の女性は元助産婦という設定)
彼らの受け入れ先は、『ヒューマン・プロジェクト』という団体だ。
いずこも世界の首都ロンドンとは思えぬ物々しさ。だが、実際、、近未来フィクションとは思えないところまできている。
セオの一行は、旧友ジャスパーを訪れ、しばしの休息を取る。
ジャスパーが語る「信念」と「運命」の話が面白い。
太古から この世には宇宙的な抗争が存在してる
“信念”と“運命”の抗争だ世の中には“信念”があって “運命”がある
ジャスパーは、運命と信念の在り方を、ジュリアンとセオに喩える。
あの二人は大きな抗議デモの最中に運命的に出会った。
二人をそもそも、そこに行かせたのは信念だ。
”世界を変えたい”という信念が二人を結びつけた。だが運命でディランが生まれた
生きてたら君の年齢ぐらいだ
信念が試された 運命が働いた
親にとっては夢の子どもだった2008年に世界を吹き荒れた
あのインフルエンザ
運命はあの子を奪い去ったこうしてセオの信念は運命に敗れた
つまり人間、運命には逆らえないってことだ
ジャスパーの話を立ち聞きしたセオの胸に使命感が芽生える。
我が子は戻らなくても、キーのお腹に宿った 『人類の子(チルドレン・オブ・メン』は守らなければならない。
そして、人類の希望を未来に繋ぐのだ。
その後、セオはキーを連れて逃走し、キーは古びたアパートの一室で出産する。
だが、彼らの隠れ家も、政府軍の攻撃を受け、命の危険にさらされる。
その時、赤子の泣き声が建物中に鳴り響き、誰もがその声に心を打たれ、兵士もテロリストも揃って道を開く。
圧倒的なカメラワークで、人類の祈りと希望を映し出す名場面だ。
この部分だけ見れば、「戦場で赤ん坊が泣いてるだけ」と思うかもしれないが、人類に残された唯一の赤ん坊――この子が死んだらもう後はない……と思えば、受け取り方も違うはず。
さながらミサのような崇高さである。
子どもを愛おしむキー。誰に教えられなくても、母の本能がそれを知っている。
そして、それこそが、人類の未来を開く鍵であると。
こういう発想と描写は女性作家ならではだろう。
子の生まれぬ社会に、希望も、活気も、秩序もないのは、フィクションに限った話ではない。
【コラム】 神なる女体と未来の子供
2011年10月20日に書いたレビューです。先の内容と一部重複します。
誰もが当たり前のように「明日」が来ると思っている。
人が死んでも、またどこかで生まれ、命の連なりは永遠に無くならないと。
だが、もし、世界中で子供が生まれなくなったら?
女性が出産能力を無くし、このまま子供が生まれなかったら、人類は滅びるしかないと分かったら……?
そんな「まさか」を描いたのが、映画『トゥモロー・ワールド Children of Men』。
直訳すれば「人類の子供たち」だ。
原因はまったく不明だが、ある時から子供が誕生しなくなり、絶望と混沌に翻弄される人々を描いた凄まじい近未来フィクションだ。
子供が生まれない世界では、「今日、人類最年少の少年が死亡しました。彼は18年と4ヶ月20日、16時間8分の命でした……」というニュースが流れ、未来をなくした社会は、秩序も産業も崩壊して、テロに明け暮れていた。
そんなある日、セオは反政府グループのリーダーで、元妻でもあるジュリアンから、危険な仕事を依頼される。
それは奇跡的に妊娠した黒人の少女キーを、未来のための世界組織『ヒューマン・プロジェクト』に送り届けることだった。
彼女の妊娠が分かれば、それこそ世界中がパニックになる。
権力を欲する者は、生まれくる命を利用して、いっそう支配を強化するだろう。
それを阻止するのが、セオの目的だ。
最初、セオに真の目的は知らされてなかったが、ジュリアンが射殺されると、少女キーは自ら衣服を脱いで、セオに秘密を見せる。
産み月も近い、丸く膨らんだお腹──。
子供の誕生しない世界において、妊娠した少女の姿はまさに「神」そのものだった。
本作の巧みな点は、子供の父親が誰か、いっさい説明がないことだ。
まだ幼さの残る無知な少女が、一体、誰と交わったのか。
なぜ、彼女だけが、奇跡的に妊娠することが出来たのか。
少女はまるで聖母マリアのように子を身ごもり、自分でも訳のわからないまま、出産しようとしている。
子供が生まれない世界では、少女キーの肉体そのものが神であり、人類に残された唯一の希望である。
それを知って、セオも、身体を張って少女を守り、国外脱出を試みる。
やがて陣痛が始まり、少女がバスの中で破水すると、セオは『尿漏れ」と偽り、群衆を振り切って、薄暗いビルの一室で出産を介助する。
ついに生まれた新しい命。
だが感動にひたっている余裕はない。少女と赤ん坊を無事に送り届けるまで、三人の命の保障はない。
彼らは戦闘に巻き込まれ、銃弾が飛び交う中、廃墟の中を逃げ回る。
そして、激しい銃声の中、奇跡とも思える赤ん坊の泣き声が辺りに響き渡る。
最初に気付いたのは、身を隠していた女たちだ。
彼女らは、まるで巡礼者のように物陰から一人、また一人と現れ、神に祈るようにして赤ん坊に触れる。
狂ったように銃を撃ちまくっていた兵士たちも、銃を下ろしてその場に立ち尽くす。
この場面、ほとんど台詞はないが、BGMが聖歌のようで、廃墟はさながら近未来の寺院のようだ。
殺伐とした兵士の姿と、赤ん坊を腕に抱いた少女の対比が、まるで光と闇のように際立ち、礼拝のような神々しさである。
追っ手を振り切り、海にこぎ出したセオと少女と赤ん坊がどんな運命を辿るかは、じっくり映画を見て頂きたいが、とにかく暗い映画なので、あまり期待はしないで欲しい。
本作は、インディ・ジョーンズのような冒険活劇を期待してみる映画ではないし、社会的メッセージを声高々に叫ぶお説教ドラマでもない。
「子供が生まれない社会」を体感する、シュミレーション・ドラマである。
人によっては「めでたし、めでたし」と感じるかもしれないが、本作の「手放しに喜べない感」は、まるでアルプスの向こうは激戦地だった『裏・サウンド・オブ・ミュージック』という印象である。
正直、少女と赤ん坊に明るい未来などあるのか、という感じ。(ああ、言っちゃった)
日本も少子高齢化が問題視されて久しいが、若い人もそこまで危機感を持っているようには見えないし、「作るも、作らないも、個人の自由」と言い切ってしまえるのは、「その気になれば、いつでも出来る」と高をくくっているからだろう。
だが、意外と正常妊娠する確率はそこまで高くないし、出産しても、みながみな、無事故・健康で、無事に成人するわけでもない。
「その気になれば、いつでも」というほど、甘いものでもなく、気づいた時には、たいてい女性の方が年取ってしまっているものだ。
にもかかわらず、五十年後も、百年後も、今と変わらぬ世の中が続くと過信して、何も考えない若者の多いこと。
『トゥモロー・ワールド』のように、いよいよ人口が減って、国家の存続も危ぶまれるようになったら、本当にどうするつもりだろう?
今を生きる私たちは、未来に大きな借りを追っている。
私たちが未来を創っているような気でいるが、その実、未来に支えられているのは、私たちの方だ。
そして、未来とは『子供』である。
子供がうざい、嫌い、結婚も出産もしなくていい、という人も、『トゥモロー・ワールド』を見れば、さすがに神を感じるのではないだろうか。
勧善懲悪でもなければ、お涙頂戴のヒューマンドラマでもない。
目の前の事象を淡々と描き、後は皆さんで解釈ヨロシク、、、みたいな、観客丸投げ作品です。
それが見る人によっては「説明不足」「訳が分からなくて退屈」になるのでしょう。
こういう作品は思想も理想も捨てて、感性だけで見るのがおすすめ。
なまじ理解しようなどと思えば、テーマの重さに気が狂います。
それだけに「何かを感じた時」のインパクトは強烈。
ベイビーの戦闘シーンが心に残れば十分です。
とにかく、クライブ・オーエンが格好いいのです。(ほんと作品に恵まれなくて、気の毒)