「子供を産んでよかったことは何ですか」と聞かれたら、「それですべてのことに納得がいくから」と答える。
10代、20代の青写真から比べたら、私も本当に思いがけないところに流れてきた。
『自分で選んだ道』と言えばそれまでだけど、自分の意志以外にも、人生を左右する出来事はいっぱいある。
この年になると『諦観』が必要になるのも頷ける話だ。
とはいえ、「やりのこしたこと」「達成できなかったこと」、すっかり諦めがつくかと言えば、そんな単純なものでもない。
多かれ少なかれ、人は後悔しながら黄泉に旅立つものだし、痛恨事もある。
仙人や高僧じゃないのだから。
多少の煩悶は人間らしくていいと思う。
そんな中、これだけは確実に言えるのが、「自分の子供に会えてよかった」という気持ち。
たとえ、「やりのこしたこと」「達成できなかったこと」があったとしても、「でも、この子たちに会えた」という気持ちが、そういう思いを拭い去り、この人生を納得させてくれる。
社長にはなれなかった。でも、我が子の顔を見ることはできた。
仕事は辞めざるをえなかった。でも、この子たちには会えた。
そこで不思議と納得できる。これで良かったのだ、と思える。
そう思わせる何かが我が子の笑顔にはあり、それが最大の「子供を産んでよかった」と思える部分だ。
臨床医・大津秀一氏の手記によると、人が死に行く時、こういうことを後悔するらしい。
1、健康を大切にしなかったこと
2、たばこを止めなかったこと
3、生前の意思を示さなかったこと
4、治療の意味を見失ってしまったこと
5、自分のやりたいことをやらなかったこと
6、夢をかなえられなかったこと
7、悪事に手を染めたこと
8、感情に振り回されて一生を過ごしたこと
9、他人に優しくしなかったこと
10、自分が一番と信じて疑わなかったこと
11、遺産をどうするのか決めなかったこと
12、自分の葬儀を考えなかったこと
13、故郷に帰らなかったこと
14、美味しいものを食べておかなかったこと
15、仕事ばかりで趣味に時間をさかなかったこと
16、行きたい場所に旅行しなかったこと
17、会いたい人に会っておかなかったこと
18、記憶に残る恋愛をしなかったこと
19、結婚をしなかったこと
20、子供を育てなかったこと
21、子供を結婚させなかったこと
22、自分の生きた証を残さなかったこと
23、生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24、神仏の教えを知らなかったこと
25、愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
私は、とにもかくにも「自分の子供には会えた」。
それだけですべてのことに納得がいく。
屁理屈や精神論ではなく、身体の奥から頷くような感じ。
自分に欠けていた最後のパーツがぴたりと収まったような充足感だ。
これも遺伝子の影響かな?
もし、「子供を産んでどんなメリットがあるのか」と思いあぐねる人がいたら、私はきっとこう答えるだろう。
「リクツじゃないんだよ」と。
確かに、家計だの、キャリアだの、人生設計だの、いろいろ大事だけどもね。
もっと生物としての本能に耳を傾けてもいいんじゃないか、と。
自分の子供に会えることは、「楽しい」とか「幸せ」なんてレベルの話じゃない。
すべてが納得してまだ余りある、エポック・メイキングな出来事だと私は思います。
では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
本書は、終末期医療の専門家である著者が、1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が綴った切実なメッセージが心に響く1冊です。
参考記事
エチカの鏡でも紹介された「死ぬときに後悔すること25」まとめ