80年代の女神 バナナラマと『ヴィーナス』
『Banararama(バナナラマ)』は、1980年代から1990年代にかけて人気を博した、女性三人のヴォーカル・グループだ。
特に世界的ヒットとなった『VENUS(ヴィーナス)』は、日本のディスコ・ブームの代名詞となり、長山洋子のカヴァーした日本語版も好評だった。
いかにも80年代といったメロディラインに、『I’m your Venus, I’m your fire, At your desire..』という分かりやすいサビの部分が特徴で、学校の文化祭で踊った女の子も多いのではないか。
早く大人の女性になって、マハラジャで踊りたい。
そんな女子中高生の夢を掻き立てた、明るいディスコソングだ。
こちらが長山洋子ちゃんの日本語版『ヴィーナス』。ファッションも懐かしい80年代風です。
その流れで出てきたのが、荻野目洋子。『ダンシングヒーロー』も流行った。
最後の極めつけが、アイドル・デュオのWINK。この頃のダンスは、今みたいな本格的なダンスではなく、「振付け」という感じ。
でも、その、どこか不器用な動きが、かえって可愛かったんですよね。
バナナラマの楽曲に戻ります。
80年代ディスコ・ミュージックを想起するサウンド。
この頃のダンス・ミュージックは、テンポもスローで、踊りの苦手なお姉ちゃんでも、適当に身体を揺すっていれば、通じたんですよ。
Aメロ、Bメロ Aメロの、クラシックな作りが嬉しい『I Heard a Rumor』
こちらもVenusのようにノリのいい Precher Man。 曲の作りが80年代風です。
こちらがベストアルバム。
【音楽コラム】 『大人の女』って、何ですか?
今も昔も、女性は若くて可愛いのが一番と思われているせいか、30代になっても、40代になっても、「少女でいたい」という女性が少なくない。
世間の褒め言葉も、「とても40代に見えない」「少女みたいにツルツルのお肌」みたいに、とにかく『若い』が最上級で、それ以外は、『劣化』と呼ばれる。
そして、女性自身も、そう思い込んでいるせいか、世間の好みに迎合し、いつまでも、少女のように、あどけない顔貌でいたいと願う。
まるで年を食うのが罪悪と言わんばかりに。
しかし、どれほど頑張っても、容色はいつか衰えるし、どこを、どう塗りたくっても、10代、20代の娘には敵わない。
敵わないのだから、見た目も、精神年齢も、年相応を目指せばいいのに、そういう方向には向かわないのが、女心の悲しいところだ。
それでも、私が少女の頃は、「早く大人になりたい」と背伸びする女の子が多かった。
ガキでいるよりは、オンナになりたい。
経験がなくても、経験のある振りをして、とにかく、周りに「ガキ」と侮られたくない。
そういう上昇志向が、バブル時代のイケイケ文化を作ったような気もする。
なにせ、あの頃は、同性代の女子も多かったから、オトコも、ファッションも、何もかもが競争、無知な少女(ガキ)のままだと、全部、イケイケ姉ちゃんに掠め取られて、冴えない女の子には居場所も無かったからね。
その点、今は、人口も減って、女の子もさぞかし生きやすくなったかといえば、決してそうではない。
頑張っても給料は上がらないし、ろくな働き口もない。
同性代の男の子も素寒貧で、付き合ったところで、ホテル・ヒルトンの最上階でクリスマス・ディナー+ティファニーのネックレスなど、夢のまた夢だし、大学生でも気軽にパリのシャネル本店に出掛けて、気軽にお買い物できた時代なんて、二度と戻ってこないだろう。
体育会系のモラハラ親父が幅を利かす職場で、ゴミみたいに扱われて、生き延びる道といえば、ただ一つ。
少女のままでいることではないか?
お願い、虐めないで。
大事に可愛がって。
そういう不安と飢餓感から、みな、少女でいたがっているような気がする。
子猫は子猫のままでいた方が、いつまでも大事にされて、ちやほやされるのと同じ原理。
心の底からロリータファッションが好きで、猫耳やアニメ目を楽しんでいるならともかく、「少女でいた方が大事にされる」という無意識の動機から、30代になっても、40代になっても、「女のコ」で居続ける社会というのは、どう考えても、女性に優しいとは思えないのだ。
ある意味、『大人の女』への憧れというのは、社会の健康度のバロメータとも言える。
何故なら、女性が安心して年を取れる社会は、制度においても、文化においても、それなりに成熟しているからだ。
『大人の女』と言うと、訳知りで、経験豊富なイメージがあるが、本質的には、『社会の一員』という自負と自覚に支えられたものである。
一人前に稼ぎ、一人前に意見し、男性とも対等に生きていく。
その自信と社会的・経済的基盤があればこそ、『大人の女』であり、その土台となるものが揺るげば、女性も安心して大人になることが出来なくなってしまう。何故なら、年を取ることは、自分の価値が暴落し、社会での立場を失うことでもあるからだ。
その結果、爆誕するのが、「顔は少女で、身体はヲンナ」みたいな、アンバランスな成人女性で、自らが生き残る為に、少女の振りをし続けなければならないとしたら――あるいは、無意識に成長することを止めてしまうとしたら――文化的、社会的には逆行である。
私が少女の頃、バナナラマのお姉さまも、ディスコで踊るOLのお姉さまも、みな生き生きして、憧れだった。
そんな華やかな夢が、自分の歩く先にあるから、女の子も頑張れるのであって、将来に待ち受けるものが、しみったれた安物の服や、のり弁当では、夢も希望もないだろう。
いつかまた、あんな華やかな時代が訪れるかどうかは分からないけども、女の子の中から、大人の女性になる夢が失われたら、それこそ「終わり」の始まりだということを重ねて付け加えておきたい。
初回公開日 2015年9月25日