「生まれてこの方、一度も人を好きになったことがない」と言う人がいます。理由を聞けば、「いい男がいないから」。
しかし、容姿も人柄も優れた人に出会ったからといって、必ずしも愛するわけではありません。
人が人を好きになる気持ちは、もっと不可思議なものです。
世間でいう『ならず者』を好きになったり、若い女の子が『キモ』と敬遠するような男性を選ぶ人もあります。
条件が必ずしも愛を約束するわけではないんですね。
愛とは、その人の未熟ところや弱いところもひっくるめて、「いとしい」と思う気持ちです。
好感は途中で醒めることもありますが、本物の愛情は揺らぎません。心に根が生えたように、いつまでも相手の幸せを願ってやまないものです。
そして、そういう気持ちは、一朝一夕に身に付くものではありません。誤解、怒り、許し、妥協、様々な感情と考察を経て、初めて辿り着く境地です。
相手が美しいから、立派だから、愛するわけではないんですね。
人を好きになるのも、人間の能力の一つです。
他人のやること、なすこと、いつも品定めしているような人には、人間の本当の価値は理解できないし、思いやりがなければ、相手の秘めた優しさに気付くこともありません。
「いい男がいないから恋愛しない」のではなく、元々、あなた自身に、人に対する想像力や思いやりが欠けているのではないでしょうか。
恋愛は、誰かを心から好きになるだけで、十分、意義があるのです。
人が人を好きになる気持ちは、とても不思議なものです。
神経質とか、頭髪が薄いとか、七癖あっても、なぜかその人に惹きつけられる。
いやな所もあるけど、どこか許せるし、いつも一緒に居たいと思う。
優れているから、偉いから、人を好きになるのではなく、その人の至らないところや弱いところもひっくるめて理解できた時、「愛しい」という気持ちが湧いてくるのです。
人を好きになるのも、心の能力の一つです。
どんなダイヤの原石も、それと分からなければ、ただの石ころに過ぎません。
あなたにはダイヤの原石を見抜く力がありますか?
キラキラ光るものなら、ガラス玉でも、ダイヤと勘違いしたりしないでしょうか。
人を好きになることは、誰にでも出来ることではありません。
自分自身が人の優しさを学んで初めて、他人の優しさも理解できるようになるものです。